マヤ低地の先古典期
●先古典期の遺跡 | ||
マヤ低地は、太平洋岸地方を除くと、B.C.1000年以前には農耕村落が発展することはなかったが、 B.C.100-B.C.400年ごろには高地や低地で人口が増加し、さまざまな地域で土器製作の技術を獲得していった。マヤ低地における先古典期中期前半の遺跡は、グァテマラのセイバルやアルタル・デ・サクリフィシオス、ベリーズのクエジョ遺跡などで見られる(図 5-1-1)。 | ||
図5-1-1 ↓ |
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●先古典期の土器の特徴 | ||
先古典期は、前期(2000-1000B.C.)、中期(1000- 400B.C.)、後期(400B.C.-A.D.250)に細分される(Share 1994)。マヤ低地で最初の土器は、先古典期中期に出現する。南部低地のパシオン川沿いのアルタル・デ・サクリフィシオス(Altar de Sacrificios)遺跡やセイバル(Seibal)遺跡では、シェ(Xe)土器文化が見られる(Adams 1971, Sabloff 1975)。シェ土器文化は、スリップがかけられない粗製土器として把手付短頸壷、テコマテ(ヒョウタンの下部のような形をした球形の無頸壷)があり、また白色、赤色、黒色などのスリップがかけられた単色土器では、平底の皿、碗、テコマテが見られる。また、装飾技法としては外反する口縁部の内側や胴部に施文された沈線文あるいは胴部に付けられた押捺文や貼付文がある。これらの特徴からシェ土器は、ミへ=ソケ(Mixe=Zoque)語圏のチアパス東部との関連が示唆されている。一方、中部低地のベリーズのクエジョ(Cuello)遺跡では、スウェジー(Swasey)土器文化が報告されている(Kosakowsky 1987)。スウェジー土器文化は、当初は先古典期前期に属すると考えられていたが、現在では、先古典期中期に位置づけられている。その特徴は、赤色、黒色、オレンジ色のスリップのかけられた土器が約90%を占め、器種では碗、皿、壷などの基本的なものが認められる。装飾技法では、沈線文や「意匠つや出し文様」(Pattern- burnished:文様部分を光沢のでるくらいに強く研磨し、研磨の行われない部分と対照性を示すことにより平行線や斜線などの文様を描く技法)が見られる。この土器文化は、グアテマラのティカル(Tikal)で発見されたエブ(Eb)土器文化とともにマヤ語圏のグアテマラ高地との関係が示唆されている。 | ||
先古典期中期後半に入るとペテン低地のワシャクトゥンを標識遺跡とするマモム(Mamom)土器文化が、パシオン川流域、中部低地およびユカタン北部地帯にまで広がる。この土器文化にも赤色、黒色、オレンジ色のスリップをかけられた土器が認められ、器種では碗、皿、壷がある。スリップのかけられない粗製土器では、大部分が壷である。装飾は、幾何学文様を描いた沈線文や押捺文がスリップのかけられた土器に施される。 | ||
先古典期後期のマヤ低地では、チカネル(Chicanel) 土器文化が広がる。この土器文化の特徴は、パソ・カバージョ土器群(Paso Caballo Waxy Ware)に見られる赤色、黒色、クリーム色のスリップがかけられ、すべすべした表面を持つ単色土器が一般的になることである(古典期に入ると Peten Gloss Wareのような、表面が良く研磨され光沢のある単色土器や多彩色土器が出現する)。これらの土器の表面には細い「ひび割れ」が入るものもある。器種では、口縁部が大きく外反する皿あるいは口縁部の下に鍔(Flange)が付けられた皿や碗などがある。 |