日本における土器出現のプロセス
●土器出現直前の様相 | ||
約B.C.13,000年ごろ、最終氷期は終末へと向かい寒暖を繰り返しながら温暖化が進行した。同じころ旧石器時代も終わりをむかえ、細石刃という小型石器が使われるようになった(図6-1-1)。旧石器時代末の狩猟民は細石刃という小型の石器をつけた道具を手に変動する自然環境への適応をはかっていった。細石刃とは、長さ5cm、幅1cmほどのカミソリの刃のような石器で黒曜石などから作られた(堤 1998)。本州地方の細石刃石器群の年代はB.C.13,000〜10,000年ごろであり、この時期の動物相は氷河期を代表する動物であるナウマン象は絶滅し(B.C.18,000年ごろ)、ヒグマやヤベオオツノジカなどの大型哺乳類も減少しつつあった。このため人類は、狩猟対象獣を大型獣からシカなどの中型獣へと移す必要があった。 | ||
図6-1-1 ↓ |
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●日本での出現のプロセス | ||
<南九州で見られる縄文文化のはじまり> 日本列島における土器出現は、およそ1万3000年前(B.C.11,000ごろ)長崎県の泉福洞穴で発見された豆粒文(トウリュウモン)土器や隆起線文(リュウキセンモン)土器で開始すると言われている。その後、この落葉広葉樹林帯に出現した土器は、西日本や東日本に伝播したと考えられていた。近年の調査によると西九州のみならず南九州においてもこの時期の遺跡が多く発見され土器出現のプロセスが解明されつつある(新東 1998)。 |
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新東によると南九州における土器の出現は、約 B.C.9,500年ごろに噴火した薩摩火山灰層の下位から出土する。石器との共伴関係から2つのグループに分けられる。 | ||
(1)細石刃(サイセキジン)と土器や石鏃(弓矢の先に付けられる)が共伴して出土するが、主たる狩猟具はいまだに細石刃の段階にある。 | ||
(2)隆帯文土器と呼ばれる非常にローカルな土器とともに磨製石斧、石皿、磨石などの縄文的な石器を伴う(図6-1-2)。細石刃は共伴しない。隆帯文土器は、刻み目をつけた太めの隆帯文をつける土器で離島を含めた南九州一帯に広がる土器である。放射性炭素年代によると約B.C.11,000〜10,000年という年代が得られており、南九州ではこれ以前に細石器は消滅し、縄文文化が確立する。その後桜島の大噴火に伴って南九州一帯は薩摩火山灰層(B.C.9,500年ごろ)が堆積した。 | ||
このように南九州では、B.C.11,000〜9,000年ごろに、すでに土器ばかりでなく竪穴住居や植物資源の有効利用に代表されるような縄文的な生活様式が開始した。それが気候の温暖化と植生、動物相の変化に伴って北に広がるようになった。 | ||
<日本列島北部の様相> 日本列島北部の様相は、ユーラシア大陸北東部の動きと関連しているようである。梶原は、九州を中心とした隆起線文土器群が長江流域から朝鮮半島とのつながりの中にあるのに対して、本州北部や日本海岸の土器は沿海州からアムール川流域と関連性があると指摘し、土器出現のモデルと日本列島への渡来に関して次のように述べている(梶原 1998)。 |
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(1)約B.C.10,000年ごろ細石刃石器群に伴って土器が出現した長江近くの植物相は、針葉樹林(マツ、モミ、トウヒ、カラマツ)と落葉広葉樹林(カンバ、コナラ、ニレ)からなる樹木とイネ科植物を中心とする草本類で構成されていた。 | ||
(2)このような森の暮らしの中で誕生した土器製作技術とそれを利用する生活は、急激な温暖化に伴うナラ林などの拡大と共に東や北に広がった。 | ||
(3)細石刃石器群の時期のオープンランド的な開けた自然景観とそこに住む獣類の狩を主とする生活は、移動を妨げる森林の増加に伴い限定的な領域内での森林動物(ノロジカ、熊など)と植物質の資源、さらに内陸河川や湖水の魚類などを重点的に利用する複合した生活様式に変化した。 | ||
(4)その中で、動物から植物までの多用な資源を有効に活用する手段として土器が採用された。 | ||
(5)日本列島のいわゆる縄文文化の萌芽は、大陸との共通の基盤のなかで生まれたもので縄文文化と大陸文化は同時進行的発展過程をたどった。 | ||
図6-1-2 ↓ |
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●まとめ | ||
縄文文化の中で土器は、食物の加工の道具であるというのが通説で、それによって(1)煮沸によって可食できる食物の範囲が広がったり、(2)あく抜き技術の開発によりトチノミなどの堅果類の利用が進んだとされる。 | ||
B.C.10,000年頃に出現する日本を含むユーラシア大陸北東部における土器の出現は、氷河期が終わり、温暖化に伴う自然環境の変化に人類が適応した結果生まれたものである。またこの時期を境にして人類は弓矢も使用するようになる。 | ||
イギリスの考古学者であるゴードン・チャイルドは「土器の製作は、おそらく人類が化学的変化を意識的に応用した最初のできごとであった」と述べると共に「弓矢はおそらく人類が作り出した最初の機械であろう」と述べている(芹沢 1998)。 |