メキシコレポートNo.2


●2003年8月24日配信
 今回は、テオティワカン人の死者の扱い方や副葬品についての説明です。
一般にテオティワカン人は、人が死ぬとその人が住んでいた住居の床下に埋葬しました。ラ・ベンティジャという集合住宅からは、300以上の墓が見つかっています。一般に成人の場合は、副葬品が墓の中に入れられます。この副葬品は、土器等の完形品であるので考古学研究者にとってはとても重要な遺物です。また、博物館などに展示されている遺物はほとんど墓の副葬品です。
 子供の場合は、大型の皿の中に入れられ、別の皿で蓋をするケースも見られます。その他、埋葬地としては洞窟、井戸、小さな祭壇の下などに埋葬される場合もあります。この小さな祭壇は、集合住宅の広場に作られます(集合住宅の祭壇に関しては、新大陸考古学講座(第3回、4P、図3-4-3)を参照)また、ピラミッド建築に伴って生贄にされた人物の墓からは、動物、貝、黒曜石の製品やヒスイ製品など一般の人の墓とは異なる副葬品が出土します。



頭蓋骨の土器
頭蓋骨をイメージした土器です。墓の副葬品。テオティワカン人は、おそらく初期の段階からこのような土器を副葬品として墓の中に入れることにより死を明確にする文化があったようです。
この土器は、香炉として使われたと考えられます。頭、目、口の部分から香の煙がでる状況を想像してみてください。おそらく、死者を祀る何らかの儀礼使われたものかもしません。



トラロックの壺
 この土器も日常的に使われる土器ではなく、墓の副葬品として使われた土器です。トラロックとは、雨の神でテオティワカンでは土器の図像、壁画等によく出現します。壁画に描かれるトラロック神は、目に丸いゴーグルのようなものをつけ、口からは牙がでている状態で描かれます(通称この目はゴーグル・アイと呼ばれます)。
この写真の土器のトラロックも牙が口から出ています。トラロックの壺はサクワリ期(A.D.1-150)に出現し、メテペック期(A.D.650-750)まで続きます。トラロック像も時代により様々なヴァリエーションを持っています。月のピラミッドや羽毛の生えた蛇神殿の生贄の墓からも出土しますので、ピラミッドを作るときにトラロック神に捧げる儀式が行なわれた可能性もあります。
 また、このゴーグル・アイを持つトラロック神は、中米ホンデュラスのコパン王朝(マヤ遺跡)の初代の王様であるヤシュ・クック・モー王もこのゴーグル・アイをつけて描かれます。初期コパン王朝とテオティワカンの関係を示す資料です。



石の仮面
 国立人類学博物館やテオティワカン文化博物館等では、石のマスクが展示されています。多くは、盗掘等によって得られたものが最終的には博物館に戻ってきたものです。この石のマスクは、王や貴族階級の死者の顔に被せて埋葬したものと考えられます。マヤ文明のパレンケ遺跡では、パカル王の顔に被せられたヒスイのマスクが出土しました。石のマスクは多く展示されていますが、このように考古学的に確認されたマスクは少ないようです。