メソアメリカ地域の考古学の時代区分


●時代区分
 考古学では、ある地域の文化史を技術的、政治的、芸術的スタイル等を指標にして長短様々な時間的区分に分け考察する。これを時代区分と呼ぶ。従ってある時代の時間的長さは、選択されたスタイルの存続期間によって異なる。
 メソアメリカ地域では、次のような時代区分が採用されている。
 石器時代(20000-40000〜7000 B.C.)
  人類のアメリカ大陸への移動から農耕の開始以前。この時代人類は狩猟採集経済に依存し
 ていた。当時の気候は現在とはかなり異なり、平均気温で現在より6〜8度ほど低かった。マ
 ンモス等絶滅した動物と石器が発見される。
  日本では、旧石器時代から縄文時代。
 古期(7000 B.C.〜2000 B.C.)
  農耕の開始から定住村落の形成までの時期。今日的自然環境となり、マンモスなどの大型
 の哺乳類は絶滅していた。植物食料の調理に使用した石臼などの石器類(マノ、メタテ)が出
 現。トウモロコシが栽培される。
  日本では、縄文時代。
 先古典期(形成期)(2000 B.C.〜 A.D.300)
  農耕村落が出現する。また、土器が出現し、紀元前1000年頃になるとメキシコ湾岸を中心に
 オルメカ文化が成立する。その後、メキシコ中央高地のテオティワカンやオアハカ盆地のモン
 テ・アルバン、マヤ低地のエル・ミラドール等限られた地域に神殿を持つ都市文明が成立す
 る。
  日本では、縄文時代から弥生時代。
 古典期(A.D.300-900)
  メソアメリカ各地で都市文明が興亡した時期である。メキシコ中央高地では、テオティワカン
 文明が繁栄し、滅亡していった。メキシコ南部のオアハカ盆地ではミシュテカ族のモンテ・アル
 バンが、そしてチアパス州やユカタン半島、グァテマラ、ホンデュラスではマヤ文明の諸都市
 (パレンケ、ティカル、コパンなど)が繁栄した。
  日本では、古墳時代から平安時代。
 後古典期(A.D.900-16世紀)
  古典期の地方的な文化が崩壊し、アステカ王国等の軍事帝国主義の成立した時期である。
 1521年スペイン人コルテスによりアステカ王国は滅ぼされる。
  日本では、平安時代末期から鎌倉時代、室町時代。
 新大陸の古代文明は、旧大陸の古代文明と比較しても多くの違いがある。例えば、旧大陸の古代文明は、大河流域で灌漑農業を中心に発達したのに対して、新大陸の文明は、必ずしも大河の流域で発達したものでは無かった。また、金属利器が実用化されておらず、特に鉄は使用されなかった。従って、新石器段階の技術で石造建造物等を作り上げていった文明である。