栽培植物の起源


メキシコのテワカン盆地での事例
 温暖化が進む後氷期の環境や人類の乱獲によりマンモス等の大型の哺乳類は絶滅した。人類は新しい環境に適応せざるを得なくなり、長い年月をかけて新大陸独自の農耕文化を生み出していった。 カナダの人類学者マクニーシュは、アメリカ大陸における農耕の起源を明らかにするために1961年よりメキシコ中部山岳地帯のテワカン盆地で調査を開始し、1万年あまりにわたって人がすんでいた遺跡群を発見した。
 以下、マクニーシュの報告に沿って、人類の新環境への適応のプロセスを概観する。

  アフエレアード期(10000B.C.?-6800B.C.)
   小さな集団を形成して、季節的に移動する狩猟採集民が住んでいた。当初は馬などを狩り
  していたが、それらが絶滅すると小型の動物やさまざまな野生植物の種や果実類を採集し
  て生活した。
  エル・リエゴ期(6800B.C.-5000B.C.)
   移動性の高い生活であるが、野生動植物が豊富にとれる雨期には、数家族が一緒になっ
  て大集団が形成された。この層位の上層からは、炭化した最古のトウモロコシも出土しが、
  植物性食物の大半は、野生の植物(マメ類、サボテン、根茎類等)であった。石臼などの植
  物加工用の磨製石器もあった。
  コシュカトラン期(5000B.C.-3400B.C.)
   トウモロコシ、ヒョウタン、カボチャ、マメ類などの多くの栽培植物が出現するが、食糧全体
  に占める割合は14%程で生産性は低かった。トウモロコシの穂軸は2.5cmほどだった。一
  方、食糧全体に占める肉類は34%ほどであった。
  アベハス期(3400B.C.-2300B.C.)
   栽培植物の比重が大きくなり(21%)、河岸段丘に定住村落が形成された。定住生活と共
  に石臼などの持ち運びには不便だが、食糧加工には便利な道具が増加する。
  プロン期(2300B.C.-1500B.C.)、アハルパン期(1500B.C.-800B.C.)、
  サンタ・マリア期(800B.C.-150B.C.)

   プロン期には、土器が用いられるようになり、また改良されたトウモロコシも出現し収量も増
  加したが、栽培植物が食糧の半分以上を占めるようになるのはアハルパン期からサンタ・マ
  リア期であった。この時期には、農業の形態も初期の河岸段丘斜面の天水による農業から
  盆地底部の灌漑農業へと変化した。


トウモロコシの起源
 トウモロコシは、麦や米などの食糧と同様に貯蔵が容易でその余剰生産は文明社会を生み出した原動力の一つであるといわれている。
 トウモロコシの起源については、メキシコやグアテマラに自生するテオシントと呼ばれるイネ科の野生植物が採集利用されていた過程で突然変異をおこしトウモロコシの祖先となったという説が一般に信じられている。
 最古のトウモロコシは、実を36から72粒ほどつけた穂軸1.9cm〜2.5cm程の小さなものであった。その後改良を重ね、種子の大きいものを見つけてひたすら栽培を繰り返した。そして、2000B.C.には現在のトウモロコシに近い大きさのものを栽培していた。
 トウモロコシは、メソアメリカで栽培化が行われ、その後南アメリカや北アメリカに伝播したと考えられている。一方、南アメリカでは、ジャガイモやキャッサバなどのイモ類が栽培化されメソアメリカや北アメリカに導入されていった。
図:テオシントからトウモロコシへの進化
  a)テオシントの雌性花序
  b)テオシントとトウモロコシの雑種
  c)一粒づつ殻に覆われたテオシント
     (突然変異によって生まれる)
  d)テオシントと現代のトウモロコシの雑種
  e)現代のトウモロコシ

図の引用
 山本紀夫
 1993 「植物の栽培化と農耕の誕生」
     『アメリカ大陸の自然誌3:新大陸文
      明の盛衰』
     岩波書店