トンネル発掘
●神殿の増改築(神殿更新) | |
メソアメリカでは、神殿の増改築が行なわれる。すなわち、古い神殿を覆い新しい建造物が作られる(古い神殿の一部を壊して新しい神殿を作る場合と、古い神殿をそのままの形で埋葬して新しい神殿を作る場合の2通りある)。写真1は、メキシコ・シティのソカロの近くにあるアステカ時代のテンプロ・マヨールの増改築を表した模型である。テンプロ・マヨールは、スペイン人による破壊のため基壇の部分の下層部しか残っていないが、アステカ時代の建造物の増改築の様子が良くわかる。 | |
写真1 ↓ |
アステカ時代のテンプロ・マヨールの増改築を表した模型 |
![]() |
|
●神殿更新の意義 | ||
神殿更新は、メソアメリカ特有のものではなく、アンデスの形成期の社会にもみられる現象であった(加藤 1997)。加藤氏はこの現象に対して次のように考察している。 | ||
「神殿更新という営みは、まだ機能している神殿をわざわざ埋めてしまうことによって、当時の人々にとって"永遠の物"に近い神殿を"壊れる物"にしたことになる。これは結果として神殿建設のサイクルを早め、変化を促進させる機会を増やすことになる。」(加藤 1997:256) | ||
すなわち神殿自体はなかなか壊れにくいものであるが、それを強制的に埋葬する事すなわち壊れる物にすることにより神殿建築の機会が増加し、それにより社会も連続的に変化したと考えた。 マヤの社会の場合はアンデスの形成期とは異なり、強力な権力を持った「王」が存在する社会であった。神殿は、先代の王が死んだときに次の王が先代の王を祭るために作ったり、祖先が祭られている聖なる場所に新たに神殿を作ったりするケースが多い。従って、マヤの社会で行われる神殿更新は、アンデスの形成期に見られる神殿更新の論理とは異なる論理で行われていたように思える。アンデスの形成期では、神殿更新が社会発展を促進する装置であったが、マヤ社会では、神殿は王の権威のシンボルとして機能していたと考えられる。従って、その更新を行うというのは、結果として権力を持つ王が庶民を支配するための装置として機能していたと考えられる。いずれにせよ、神殿は更新が繰り返されることにより巨大なモニュメントとなっていった。 |
||
●トンネル発掘 | |
神殿の増改築を調査するためには、トンネンル発掘が行なわれる。神殿の下の部分(神殿の基壇の下層部)からトンネルを入れ、同じレベルで水平に掘り進める。トンネンルの中では、古い時代の建造物の壁を発見することがある。壁にあたったときは、その壁に沿って掘る場合と、その壁を打ち破り、さらに古い時代の建造物を探す場合もある。トンネンル内の土層を観察すると、建造物の基壇を作る際の土や石のつめ方が良くわかる。また、建造物の最下層に埋葬された生贄の墓なども発見されることがある。 | |
![]() |
←写真2 テオティワカン遺跡のトンネル 発掘の様相。 トンネンルが崩れないように、 木で補強しながら発掘を進め る。 |
●トンネル内部で発見される建造物の壁 | |
トンネル発掘では、内部にある古い建造物の壁が発見される。写真3は、ホンデュラスのラ・エントラーダにあるエル・プエンテ遺跡のトンネル内で発見された壁である。内部で発見される壁は、保存状態も良く当時の建築技術について多くの情報を与えてくれる。 | |
![]() |
←写真3 ホンデュラス、エル・プエンテ 遺跡のトンネル内部で発見さ れた壁。 トンネル内部が一般に公開さ れている。 |