マヤ低地とテオティワカンの交流:
ティカル-1
●マヤ低地との交流 | ||
テオティワカンが最盛期を迎えたトラミミロルパ期(A.D.200-450)からショラルパン期(A.D.450-
650)にかけて、マヤ地域をはじめとするメソアメリカ全域(3回目の講座、図3-1-1参照)でタルー・タブレロ様式の建造物、テオティワカン様式の土器(三脚付シリンダー状土器等)、緑色の黒曜石、テオティワカン様式のトラロック神、アトラトル(槍投器)や頭飾り等の図像が出現する。メソアメリカの諸都市とテオティワカンとの交流がどのような性格であったのか(例えば、単なる交易関係であったのか、テオティワカンに支配されていたのか、等)についてはさまざまな議論が行われている。 マヤ地域では、特にグアテマラのティカル遺跡とホンデュラスのコパン遺跡で興味深いデータがあるので検討したい。コパンに関しては、新大陸考古学講座(第7回、第8回)で取りあげるので、今回はティカルのデータを検討する。 |
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●テイカル(Tikal)遺跡 | ||
ティカルは、首都のグアテマラ市から北東に約
600km、ペテン地域の熱帯雨林の低地に位置する。この遺跡は1696年にアンドレス・デ・アベンダーニョ(Andres de
Avendano)神父により発見された。この遺跡では、紀元前900年頃から紀元後9世紀ごろまで人が住んでいた。 最近のマーティン等の研究によると、ティカルでは紀元1世紀頃に王朝が成立し、先古典期後期にペテン地域で起きたエル・ミラドール等の遺跡の崩壊に巻き込まれることなく生き延び、古典期マヤ文化の中心地となった。その後、4世紀頃テオティワカンの影響を受け、この地域における優位を確立した。しかし、6世紀には弱体化し、カラコルとの戦争で敗北し130年に及ぶ暗黒時代となる。7世紀の終わりには復興し、それから9世紀ごろまでマヤ地域のおいて重要な地位を占めた。最盛期は、8世紀頃でこの時期には6万人の人口を擁する巨大都市となっていた(マーティン&グルーベ 2002、 Martin & Grube 2000)。 |
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図5-1-1は、第1号神殿から第2号神殿を見ている。右手には北のアクロポリスの一部が見える。 | ||
図5-1-1 ↓ |
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●ティカルの王 | ||
ティカルでは、33人の王が記録されている。図5-1- 2では、初期の王朝からテオティワカンの影響が現れる5世紀までの王を取り上げる。王のデータは、マーティン等の研究による(マーティン&グルーベ 2002、Martin & Grube 2000)。 | ||
図5-1-2 ↓ |
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●碑文の解読から | ||
マーティン等の碑文の解読によると、次の事実が明らかになった(マーティン&グルーベ 2002、 Martin & Grube 2000)。 | ||
<378年の侵入> 378年1月31日にテオティワカンと関係のあるシヤフ・カック(Siyaj K'aK')と呼ばれる人物がティカルへ「到着」したという記録がある。この人物は、ティカル到着の8日前に、ティカルの西78Kmにあるエル・ペルー遺跡を通過している。従って、この人物は、メキシコ高地のテオティワカンから直接西ルートを通って来たと考えられている(3回目の講座、図3-1-1では、ティカルへのアプローチは、グアテマラのカミナルフユー経由で描かれているが、テオティワカンから直接アプローチする西側のルートの存在が指摘されている)。 378年にシヤフ・カックが「到着」(征服を意味する)すると、当時ティカルを治めていたチャク・トク・イチャーク1世王が殺され、その後テオティワカンの支配層と関連する集団がティカルの王位を継ぐことになる。この征服によりそれまで建てられた多くのモニュメントが破壊され、新しい建造物を作る際の盛土となった。また、ティカルから20Km 程北にあるワシャクトゥンでもテオティワカンによる侵入の痕跡が認められる。 |
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<新しい秩序の確立> 379年、ティカルではシヤフ・カックに従属する新しい王としてヤシュ・ヌーン・アイーン1世が即位する(後述する、「槍投フクロウ」の子供)。これらの新しい支配者が、テオティワカン人か在地のマヤ人かを断定することは難しいが、いずれにせよ当時のペテン地域がテオティワカンの支配下にあり、テオティワカン人による「新しい秩序」が確立された。 また、シヤフ・カックとは異なる「投槍フクロウ」と呼ばれる人物の記録も残っている。「投槍フクロウ」を表す文字は、テオティワカンとの繋がりをより直接的に示す特徴を持っていた。その名前を表す文字は、投槍器を持ったフクロウで表されている(図5-1-3:b)。このモチーフは、テオティワカンでは壁画等によく出現するモチーフである。また、ティカルから出土したテオティワカン様式のマルカドール(球戯場のゴール・マーカー)の上部には羽毛を表現した円形の部分があり(図5-1-3:aのオレンジ色の部分)、その中央に槍投器を持つフクロウが刻まれている。 |
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図5-1-3 ↓ |
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