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eccles 8:12
罪人が、百度悪事を犯しても、長生きしている。しかし私は、神を恐れる者も、神を敬って、しあわせであることを知っている。
eccles 8:13
悪者にはしあわせがない。その生涯を影のように長くすることはできない。彼らは神を敬わないからだ。
eccles 8:14
しかし、むなしいことが地上で行なわれている。悪者の行ないに対する報いを正しい人がその身に受け、正しい人の行ないに対する報いを悪者がその身に受けることがある。これもまた、むなしい、と私は言いたい。
eccles 8:15
私は快楽を賛美する。日の下では、食べて、飲んで、楽しむよりほかに、人にとって良いことはない。これは、日の下で、神が人に与える一生の間に、その労苦に添えてくださるものだ。
eccles 8:16
私は一心に知恵を知り、昼も夜も眠らずに、地上で行なわれる人の仕事を見ようとしたとき、
eccles 8:17
すべては神のみわざであることがわかった。人は日の下で行なわれるみわざを見きわめることはできない。人は労苦して捜し求めても、見いだすことはない。知恵ある者が知っていると思っても、見きわめることはできない。
eccles 9: 1
というのは、私はこのいっさいを心に留め、正しい人も、知恵のある者も、彼らの働きも、神の御手の中にあることを確かめたからである。彼らの前にあるすべてのものが愛であるか、憎しみであるか、人にはわからない。
eccles 9: 2
すべての事はすべての人に同じように起こる。同じ結末が、正しい人にも、悪者にも、善人にも、きよい人にも、汚れた人にも、いけにえをささげる人にも、いけにえをささげない人にも来る。善人にも、罪人にも同様である。誓う者にも、誓うのを恐れる者にも同様である。
eccles 9: 3
同じ結末がすべての人に来るということ、これは日の下で行なわれるすべての事のうちで最も悪い。だから、人の子らの心は悪に満ち、生きている間、その心には狂気が満ち、それから後、死人のところに行く。
eccles 9: 4
すべて生きている者に連なっている者には希望がある。生きている犬は死んだ獅子にまさるからである。
eccles 9: 5
生きている者は自分が死ぬことを知っているが、死んだ者は何も知らない。彼らにはもはや何の報いもなく、彼らの呼び名も忘れられる。

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