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rom 4:19
アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。
rom 4:20
彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、
rom 4:21
神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。
rom 4:22
だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。
rom 4:23
しかし、「彼の義とみなされた」と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、
rom 4:24
また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。
rom 4:25
主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。
rom 5: 1
ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
rom 5: 2
またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
rom 5: 3
そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
rom 5: 4
忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。

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