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rom 7: 5
私たちが肉にあったときは、律法による数々の罪の欲情が私たちのからだの中に働いていて、死のために実を結びました。
rom 7: 6
しかし、今は、私たちは自分を捕らえていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。
rom 7: 7
それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。
rom 7: 8
しかし、罪はこの戒めによって機会を捕らえ、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。律法がなければ、罪は死んだものです。
rom 7: 9
私はかつて律法なしに生きていましたが、戒めが来たときに、罪が生き、私は死にました。
rom 7:10
それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、わかりました。
rom 7:11
それは、戒めによって機会を捕らえた罪が私を欺き、戒めによって私を殺したからです。
rom 7:12
ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。
rom 7:13
では、この良いものが、私に死をもたらしたのでしょうか。絶対にそんなことはありません。それはむしろ、罪なのです。罪は、この良いもので私に死をもたらすことによって、罪として明らかにされ、戒めによって、極度に罪深いものとなりました。
rom 7:14
私たちは、律法が霊的なものであることを知っています。しかし、私は罪ある人間であり、売られて罪の下にある者です。
rom 7:15
私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。

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