検索結果(口語訳)

 
rom 3:28
わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。
rom 3:29
それとも、神はユダヤ人だけの神であろうか。また、異邦人の神であるのではないか。確かに、異邦人の神でもある。
rom 3:30
まことに、神は唯一であって、割礼のある者を信仰によって義とし、また、無割礼の者をも信仰のゆえに義とされるのである。
rom 3:31
すると、信仰のゆえに、わたしたちは律法を無効にするのであるか。断じてそうではない。かえって、それによって律法を確立するのである。
rom 4: 1
それでは、肉によるわたしたちの先祖アブラハムの場合については、なんと言ったらよいか。
rom 4: 2
もしアブラハムが、その行いによって義とされたのであれば、彼は誇ることができよう。しかし、神のみまえでは、できない。
rom 4: 3
なぜなら、聖書はなんと言っているか、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」とある。
rom 4: 4
いったい、働く人に対する報酬は、恩恵としてではなく、当然の支払いとして認められる。
rom 4: 5
しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである。
rom 4: 6
ダビデもまた、行いがなくても神に義と認められた人の幸福について、次のように言っている、
rom 4: 7
「不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちは、/さいわいである。

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